やさしいせかい

Matsumoto Ten 's Journal



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禁煙から学んだ自由のおはなし.





わたしは、3年半くらいまえまで、毎日たばこを吸っていました.

とてもたばこがすきで、たぶんいまでもすきです.

ただし、たばこの煙のにおいは昔から嫌いなので、吸わないいま、たばこを吸っている人には近寄りません.


わたしは たばこを吸うのをやめたのでしょうか?

もし 聞かれたのなら、答えはノーです.

なぜかとゆうと、いまこの瞬間たばこを吸わない、という選択を、3年半に渡ってしてきた、というだけだからです.




わたしはたばこがすきでした.

ストレス解消というよりは、気分の良いときほど、たばこを美味しくすうのがすきでした.

綺麗な景色の場所、たのしい人たちと一緒にいるとき、面白い映画をみたあと・・


家族にはやめたほうがいいと言われました.

広告や本にも、体に害があるからやめたほうがいいと書いてあります.

そしてたばこの値段は年々上がっていました.

だからわたしも、やめるべきだとおもいました.  やめられるものならやめたいけど、すきだから、やめられない、とおもっていました.


そして たばこをやめるためには、強い意志が必要で、心が弱いからやめられないんだと考えていました.

これを最後の一本にしようと思いつつ、最後の一本はどんどん更新されてゆきます.


たばこは吸わないほうがいい、

吸うべきではない、

なぜ?

身体に悪いから、

いつかできるかもしれない 赤ちゃんに悪いから、

他の人に迷惑がかかるから、

お金がかかるから、

・・・

たくさんのデメリットを理由に、せかいから、たばこを吸うなと言われているようでした.

だからたばこをやめるとしたら、それはわたしの意思に反することを、無理にさせられているように感じていたのです.





けれどもある日、本を読んで気がつきました.

わたしには、たばこを吸う自由がたしかにある.

でも、同時に、

たばこを吸わない自由もあるんだってこと.


誰かに言われたからではない、

何かに書いてあったからではない、


喫煙も、禁煙も、誰からも強制されることのない、

じぶんで選択する 自由があるとゆうこと..


たばこはいつ吸ってもいいし、

いつ吸わずにいてもいい、

そう気がついたときはじめて、

わたしは じぶんから、いまは すわない

ということを 選んだのでした.

(その瞬間、好きな方を選んだだけなので、意思の強さは まったく必要なかった)

そして選び続けて、何年か 時間が経ったのです.





この経験から学んだことは、


よく、しなければならない、と感じがちになるけれど、

本当は、そんなことは ないのだとゆうこと.


お金のために 働かなくてはいけない.

家族のために 家事をしなくてはいけない.

家族に思いやりをもたなければいけない.

なるべく離婚はしないほうがいい.

健康に気を使わなくちゃいけない.


こんなふうに、思ってしまうけれど本当は、


どちらを選んでもいいんだね.

なんだってじぶんで決められるんだー、

だれかに 強制されることなく.

縛られることもなく.



世界には、その自由がちっともない人たちもいるけど・・

幸運なことに、 わたしは 自由なんだ.

そしてこの国にいる 多くの人たちにも、

同じように 自由がある.


幸せになることを えらぶ自由がある.


ラッキーです.